祖父「ソ連(ロシア)を絶対信じるな」

戦争

昔話を始めよう

昨今のロシアとウクライナの戦争について父と話をしていたところ

もう既に他界している祖父が「ソ連(ロシア)を絶対信じるな」と言っていたことがわかった。

祖父が小さい頃こんなことがあった〜と簡単にお話してくれたのでこの話は代々言い伝えてくれと頼まれたのだが、

代々伝える自信がないからブログに書き起こすことにした。

ブログに書き残せばWEBに記録に残って代々言い伝えてくれという祖父の遺言は未来永劫完遂するだろう。。多分

私の父は昭和5年に樺太生れた。

その後、満州に渡り敗戦。
当時祖父は15歳の中学生。
祖父は三男で、長男、次男は戦争にいっていて、男ばかりの兄弟で、弟が2人いて、
末っ子は、生まれたばかり。
両親、自分、弟二人の五人で、満州から南下してくるロシア兵に追われながら、家族で朝鮮半島を下り、福岡に船で帰国。
船で福岡が見えると、日本の山の緑がとても新鮮で綺麗だった。って言ってた。

その後北海道の釧路に親戚がいたので、福岡から北海道に向かう。途中、盛岡のあたりで、
祖父の母が産後の肥立がわるく、死亡。
葬式は簡単に済ませ、火葬ではなく、遺体を道端に埋葬し、北海道に向かった。

その後、祖父は、釧路の炭鉱で働き、千歳の親戚から仕事があるので来ないかってことで、千歳に移住。

移住後は炭坑夫となって働いた

祖父が働き、弟2人を高校まで出し、面倒を見た。

4男は稚内で教師になり、末っ子は自衛隊に入った。

小学生の夏休みに祖父に稚内に連れて行かれこの資料館をみた。

で、今でも同じようなことする(侵略行為)国とは仲良くすることは難しいと感じたそうだ。

参考リンク:

“終戦”後に民間人が…北と南の海で起きた二つの悲劇

『九人(くにん)の乙女』の物語

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